祐二はピッツバーグの友達の引越しの手伝いに行っている。4日間の留守。やった、これで自分の好きなことが好きなときに好きなように出来る、と嬉しかったのは最初の半日ぐらいで、その後から、留守番の不安が私を襲って来た。いつものお馴染みのアレだ。小さい頃から苦手にしていた留守番。不安と寂しさと、留守をしている人が帰って来た時に怒り出すのではないかという妄想とそれに対する恐怖。すべては私の脳味噌の中だけに存在するものだと分かってはいるのだけれど、だからといって苦手意識を克服できるわけでもなく、当然、夜な夜な過食に走ることになった。
過食が出るのはいつも夜、そしてテレビを見ながら食べているときに限る。不安から食べ物に手が伸びる。自分の胃袋をはちきれんばかりに満たす(まるで時間と競争しているかのように)一方で、この箱を空にしなくては、この袋を空っぽにしなくてはと、目の前にある食べ物のパッケージ単位を食べ終える(または中身を自分の中に「移し変える」)ことに異様に執着する。食べている時の私の思考は停止していて、何かにせきたてられるように、ひたすら、機械的に、手が動いて食べ物を口へと運ぶ。胃は満杯になって悲鳴を上げているが、口はもくもくと噛み砕いて飲み込む作業を続け、目はうつろにテレビの画面を眺めるばかり。空疎な時間が過ぎて行く。
食べ終えた後は、たまらない満腹感と吐き気、そして自己嫌悪が襲って来る。やらなければいけないこと(または、私が自分で勝手にやらなければいけないと設定していること)をやりもしないでひたすら食べていた。逃避行動? 自己破壊活動? 名称が何であれ、末期的であることには違いない。そしてその末期的行動を繰り返す自分を冷静に観察しているもう一人の自分。そしてそれを諦めとともに受け入れている更に別の自分。
不安不安不安。どうしていいのかわからない。どうしたいのかわからない。どうすればいいのかさえ、もう、わからない。
祐二がもしかしたら予定のフライトを変更して早く帰って来るかも知れないという、その可能性をほのめかされただけで、パンがまた一斤胃袋の中に消えた。内蔵には負担を掛けていると思う。本当に。ヨガを多少やったところで挽回できるレベルではない。
祐二が帰って来てくれたらほっとするだろう。祐二がいなくて寂しかったし、帰って来るのをとても楽しみにもしている。でも私の中の空疎な真空(ヴァキュウム)は満たされない。それは、そのまま、そこにある。祐二がいる間は出て来ないだけで、それは、ずっと、そこにある。
この真空(ヴァキュウム)を大きくしすぎないように。吸い込まれてしまわないように。蓋をすればいいのか? 何かで満たせばいいのか? 表に出て来ないように、どこかにしっかり鎖で縛り付けておけばいいのか? どうすれば、この真空(ヴァキュウム)を内に抱えたまま、平穏に生きて行けるのだろうか? この綱引きには終わりが無いのだろうか? 一体何が、この真空(ヴァキュウム)を作り出しているのか? それとも、もともと、生まれながらにして、これはそこにあったのだろうか?
最近、また何かに取り憑かれたように音楽活動を再開させようとしていることにも、何か関係があるのだろうか?
私の奥深くに潜む真空(ヴァキユウム)がハリケーンを起こしているうちはまだいい。怖いのは、真空(ヴァキュウム)の力が強くなって、周りのすべてを吸い込みはじめること。そうなってしまったら、もう、何にも、誰にも、止められない。どんなセラピーも、薬も、効かない。自己崩壊だ。
そうならないために、何ができるのか。
きっとその答えはとてもシンプルなものだろう。きっとすぐそこにあるもの・・・もしかしたらもう既に私が知っていて実践さえしていることかもしれない。考えすぎないことだ。考えすぎるとロクなことがない。私の脳味噌が考え付けることなんて、タカが知れているのだから、アテになんてしない方がいいのだ。勘の方がよっぽとアテになる。