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fatigue
疲れている。いくら寝ても疲れが取れない。

具体的にどこが悪いというのではない、と思う。強いて言えば、頭も痛いし、肩も凝っていて、目も疲れている。脱臼癖のついてしまった肩は何かにつけてずきずきと痛んでだるくなるし、腰痛は日常茶飯事。ひどく捻挫した左足首だけでなく、なぜか右足首も痛くて、ヨガの樹のポーズもできないぐらい。そして手足の先が冷える。タイプする手がしびれそうだ。なのに首から上は火照っている。頭が熱っぽく、だるい。ひょっとして、30代前半にして既に更年期障害?(苦笑)

こういう状況がもう1ヶ月ぐらい続いているのだけれど、一昨日ぐらいから、これに眩暈・立ちくらみ・現実感の喪失・三半規管の不調が加わり、ちょっと怖い。風呂場で以前気絶したことがあるので、ふらりと来ると、ひやっとする。昨日は、気絶しそうな前兆が自分で分かったので、なんとか自力でベッドに辿り着き、安静にして無事だったが、結局怖くて外出できず。今日も、ゆっくり気をつけて出勤してみたけれど、やはりふらつくし、足元が心もとなく、何より、気分がとても優れない。そして熱っぽい。夢の中にいるようだ。

以前これに似た状態を経験した時は、後から思えば一番ひどい鬱状態だった。その時は、精神的にも浮き沈みが激しく、どうにもならなくなって、抗鬱剤を飲み始めたのだった。以来、それほどまでの鬱は経験していないし、今回も、精神的にはほとんど平常なのだが、とにかく、身体的な疲弊感が取れない。

会社からの帰り、とても地下鉄に乗る気がせず、タクシーに乗る。座席にうずまるようにして座り、漠然と窓の外のニューヨークを眺める。良い天気。日が当たって車内は蒸し暑いぐらいだ。なのに私は黒のタートルネックのセーターにさらにジャケットを羽織り、冷たい手をして震えている。日光が膝に当たって暖かい、というのは感じるけれど、それと私の体温とは別な次元の問題だ。折角こんなに天気の良い日にタクシーでセントラルパークを抜けているのだから、と空を見上げる。目に優しい緑。窓を開けたいと思う。右手は窓の開閉スイッチから15センチほど離れた窓枠に乗っているが、その手を15センチ下ろしてスイッチにあてがい、さらに人差し指に力を込めて押すという操作を考えただけで気が遠くなる。右手は力なく、それでいてずっしりと窓枠に乗せられたままだ。身体全体が、重く座席に沈んで行く。窓枠の右手と、座席の上に投げ出された左手、左膝の上に乗せられた右足、すべての重さが別々の存在感をもって沈み込んでいく。それらバラバラなパーツがなんとなく一本の糸で私の身体(ボディ)に繋がっている感じはあるけれど、さて一体ではその私の身体(ボディ)というのは一体どの部所なのか、それはもう私には分からない。自分に関連付けられてはいるけれど、自分の一部では無い、良く知っているようであまり知らない、ぎこちない隣人、もしくは毎朝同じ電車で乗り合わせる人、のような感覚。

やっとの思いで家に辿り着く。自分が空腹なのかどうか、暑いのか寒いのか、まったく分からない。ただものすごくくたびれていて、だるい。眠いというのとも違う、なんとも言えない無力感が私の全身をひたひたと浸していく。ベッドに倒れこむのは簡単。でも眠っても眠っても、この疲労感は消えないのだ。それが分かっているのに、他にやることもなく、とにかくだるくて、とりあえず、また眠るしかない。

Somebody help me.
祐二ではない、誰か。



# by quickfix | 2006-09-29 11:55 | everyday life

semi-enlightening
決して平穏な日々を送っていたわけではない。寧ろその逆だ。いろいろなことがあった。祐二と大喧嘩もしたし(何度も)、祐二の胸に抱かれて居心地よく安堵をむさぼる夜も数え切れないほどあった。祐二の助けが無ければ乗り切れなかっただろう状況もいくつもくぐり抜けた。逆に、一人で暮らしていたら楽だったのにと思った夜も何度もあった。

いろいろあって、でも、波風が収まる度に、また一段階、私と祐二の関係は穏やかさと深みを増していた。等身大のお互いを見つめ合いながら、自分の生活も疎かにしない。簡単なようでいて、実は、なかなか難しい。なぜなら、寄りかかることができないから。寄りかかってしまった時点で、このバランスは崩れる。そして、寄りかかってしまいたいという誘惑(テンプテーション)は、いつも、そこにある。

今朝は雨だった。先週捻挫して杖なしでは歩けない私を心配して、祐二は自分のレインコートを貸すと言ってガンとして譲らなかった。傘を差して十分歩けると思ったのだけれど、祐二の好意を受けて、大人しく彼の大きな芥子色のレインコートを羽織り、彼の新品の野球帽をかぶせてもらう。その出で立ちでしぶしぶ地下鉄に乗ったが、会社に着く前には(雨も止んでいたし)持参したジャケットに着替え、レインコートはパーティションのハンガーに掛けておく。と、日本人の上司が目ざとくそれを見つける。
「お、そのコートいいじゃない!」
「いやー同居人に無理やり着せられまして」
「あれ、彼のなんだ? おお、いいね~、それってやっぱり愛情だよ。大事にされてるんだねぇ」
「いや~、やっぱりそうなんですかねぇ、まぁ確かに大事にはしてもらっている模様ですねぇ」

*

祐二の愛情にしっかり包まれてる現在(いま)を、ちゃんと感じなければ。それが私にとってどれだけ大切で重要な意味を持つものなのかを、きちんと自覚し、享受し、感謝しなければ。一日一日、一瞬一秒たりとも途切れない、彼が側にいない今でさえ、感じることのできるこのblessingを、なしくずしに、うやむやに、記憶の片隅に追いやってしまうことだけは、避けなくてはいけない。
# by quickfix | 2006-08-25 05:23 | everyday life

binging
祐二はピッツバーグの友達の引越しの手伝いに行っている。4日間の留守。やった、これで自分の好きなことが好きなときに好きなように出来る、と嬉しかったのは最初の半日ぐらいで、その後から、留守番の不安が私を襲って来た。いつものお馴染みのアレだ。小さい頃から苦手にしていた留守番。不安と寂しさと、留守をしている人が帰って来た時に怒り出すのではないかという妄想とそれに対する恐怖。すべては私の脳味噌の中だけに存在するものだと分かってはいるのだけれど、だからといって苦手意識を克服できるわけでもなく、当然、夜な夜な過食に走ることになった。

過食が出るのはいつも夜、そしてテレビを見ながら食べているときに限る。不安から食べ物に手が伸びる。自分の胃袋をはちきれんばかりに満たす(まるで時間と競争しているかのように)一方で、この箱を空にしなくては、この袋を空っぽにしなくてはと、目の前にある食べ物のパッケージ単位を食べ終える(または中身を自分の中に「移し変える」)ことに異様に執着する。食べている時の私の思考は停止していて、何かにせきたてられるように、ひたすら、機械的に、手が動いて食べ物を口へと運ぶ。胃は満杯になって悲鳴を上げているが、口はもくもくと噛み砕いて飲み込む作業を続け、目はうつろにテレビの画面を眺めるばかり。空疎な時間が過ぎて行く。

食べ終えた後は、たまらない満腹感と吐き気、そして自己嫌悪が襲って来る。やらなければいけないこと(または、私が自分で勝手にやらなければいけないと設定していること)をやりもしないでひたすら食べていた。逃避行動? 自己破壊活動? 名称が何であれ、末期的であることには違いない。そしてその末期的行動を繰り返す自分を冷静に観察しているもう一人の自分。そしてそれを諦めとともに受け入れている更に別の自分。

不安不安不安。どうしていいのかわからない。どうしたいのかわからない。どうすればいいのかさえ、もう、わからない。

祐二がもしかしたら予定のフライトを変更して早く帰って来るかも知れないという、その可能性をほのめかされただけで、パンがまた一斤胃袋の中に消えた。内蔵には負担を掛けていると思う。本当に。ヨガを多少やったところで挽回できるレベルではない。

祐二が帰って来てくれたらほっとするだろう。祐二がいなくて寂しかったし、帰って来るのをとても楽しみにもしている。でも私の中の空疎な真空(ヴァキュウム)は満たされない。それは、そのまま、そこにある。祐二がいる間は出て来ないだけで、それは、ずっと、そこにある。

この真空(ヴァキュウム)を大きくしすぎないように。吸い込まれてしまわないように。蓋をすればいいのか? 何かで満たせばいいのか? 表に出て来ないように、どこかにしっかり鎖で縛り付けておけばいいのか? どうすれば、この真空(ヴァキュウム)を内に抱えたまま、平穏に生きて行けるのだろうか? この綱引きには終わりが無いのだろうか? 一体何が、この真空(ヴァキュウム)を作り出しているのか? それとも、もともと、生まれながらにして、これはそこにあったのだろうか?

最近、また何かに取り憑かれたように音楽活動を再開させようとしていることにも、何か関係があるのだろうか?

私の奥深くに潜む真空(ヴァキユウム)がハリケーンを起こしているうちはまだいい。怖いのは、真空(ヴァキュウム)の力が強くなって、周りのすべてを吸い込みはじめること。そうなってしまったら、もう、何にも、誰にも、止められない。どんなセラピーも、薬も、効かない。自己崩壊だ。

そうならないために、何ができるのか。

きっとその答えはとてもシンプルなものだろう。きっとすぐそこにあるもの・・・もしかしたらもう既に私が知っていて実践さえしていることかもしれない。考えすぎないことだ。考えすぎるとロクなことがない。私の脳味噌が考え付けることなんて、タカが知れているのだから、アテになんてしない方がいいのだ。勘の方がよっぽとアテになる。
# by quickfix | 2006-06-16 07:27 | everyday life

anxious
日本に電話を掛けるときはいつもちょっとだけどきどきする。懐かしい日本の電話の呼び出し音、「ぷるるるるる、ぷるるるるる」というのを聞きながら、意味もなく座り直し、受話器を持ち替えたり、もぞもぞと落ち着かない。留守電に切り替わってしまうとがっかりするくせに、「はい、もしもし?」と相手が出た途端、心臓がどきんとして、言葉がうまく出てこない。地球の裏側とリアルタイムでつながっているなんていうことを意識しているわけではないのだけれど、何度経験しても、電話がつながるあの瞬間の小さな衝撃にはいつもおどかされ・おどろかされている。

今日は久しぶりに実家に電話した。普段からあまり電話はしない。特に今のアパートに引っ越して来てからは、携帯しか持っていない上、電波の入りがあまり良くないというのを理由に、ますます電話を掛けなくなっている。メールやチャットの方が何倍も気楽だし、何よりきちんと考えてから発言できるのがいい。タイムリミットが無いというのは嬉しい。ひょっとすると、音楽という時間芸術に携わって来たからこそ、時間の制約に対して人一倍敏感なのかも知れない。得意ではなかった即興演奏も、修練を重ねるうちにできるようになり、今では映像に音を付けていくのだったら呼吸をするのと同じようにできる。ということは会話に関してはまだまだ修練が足りないということか。

久しぶりの電話だったのだが相手は不在で、留守電にメッセージを吹き込む。ついつい長くなって時間切れになり、もう一度掛け直す。そういえば昔はこうして何度も何度も掛け直すということをよくしたものだった。携帯電話が普及する前の時代の話である。ちょっとだけ、甘酸っぱい。
# by quickfix | 2006-06-10 13:51 | everyday life

nighthawk
中学時代から完璧な夜型人間の私に対し、祐二は完全な朝型だ。8時出勤に合わせて6時半には溌剌と起きだし、シャワーを浴びて、颯爽と7時10分には家を出て行く。私はと言えば、目覚まし代わりのラジオがタイマー設定で鳴り出すのを朦朧とした意識の中で聞きながら、半分やる気の無い様子でそれでも一応両瞼を開けようという努力はしてみる。でもしているうちにまたまどろみの中へ。大抵、片目がなんとか開くのは、すでに祐二がシャワーから出て、全裸のまま、カンフーポーズなどを一人でやりながら身支度をしている頃だ。一言二言今日の予定についてお互い言葉を交わし、調子の良いときは祐二を玄関まで見送りに出るが、起きられないときは、彼の言葉に甘えてベッドから行ってらっしゃいのキスをするだけで、ずるずるとまた睡眠に戻って行く。最終的にちゃんと起き出すのは大体8時半から9時半の間。それからのろのろと適当に身支度をし、とりあえずコンピュータの前に座ると、すでにいろいろと仕事のメールが来ているので、なしくずしに仕事を始める。そんなこんなで午前中はだらだらと潰れ、ようやくシャワーを浴びてさっぱりするのはお昼過ぎという体たらくだ。

午後に入ってやっとエンジンが掛かって来る私は、5時前後から料理を始める。祐二が疲れきって戻って来るのが6時過ぎぐらい。祐二がひとしきりメールチェックをしてシャワーを浴びた頃に夕食。夕食後は二人で一緒にテレビを見ることもあれば、それぞれのコンピュータでネットをすることもあるし、それぞれ読書をすることもある。9時半頃になると祐二を睡魔が襲う。しかし当然私はまだまだ全然絶好調。夜はまだ始まったばかりである。ぱしゃぱしゃと膝に乗せたラップトップのキーボードをピアノで鍛えた10本の指が走るのを横目に、おやすみのキスをして祐二は寝室へ。私が寝室へ合流するのは11時過ぎ、それでも私にしては早寝の方なのだが。完全に生活時間帯がずれているのはいかんともしがたい。しかしまぁ、完全に一致した時間帯で生活しなければいけないということもない。どちらでも良いのだ。

夜は気持ちが落ち着いて、いろいろなことがはっきり考えられるから好きだ。その一方で、世界が静まり返って行く中、妄想や疑心暗鬼が暴走し、一人でどんどんドツボにはまる危険性もある。昼間はそういうことはまずないが、その一方で世間の騒がしさに私の脳が影響されすぎ、頭の中が取っ散らかって収拾が付かなくなる可能性が高い。

きっとシンクロしやすい体質なのだと思う。身も心も。波長を敏感に感じ取るセンサーが発達している。だからこそ、伴奏者に向いているし、コーディネーターもできるのだろうけれど、たまに、疲れる。そして、たまに、自分の波長がどれなのか、分からなくなる。これは致命的。舵取りを失った船も同様、辿り着く先は風まかせ、潮まかせということになってしまう。その無力感と恐怖。

祐二を見ていて思うのは、夜型には夜型にしか分からない夜の効能があるのと同様、朝型にも朝型にしか分からない朝の効能があるらしいということだ。実は、ちょっと、うらやましい。ここで問題になるのは、果たして型のチェンジというのが可能なのかということ。夜型万歳というポリシーで十数年生きて来た私だから夜のすばらしさと怖さはよく分かっている。でも最近、祐二と暮らし始めて、朝の良さもあるのだろうなと思い、意外にも、その良さを享受できる人たちがうらやましくなって来た。彼の言うように、年を取れば取るほど、夜型は難しくなってくる。ということは、これからの人生、ひょっとすると朝と付き合う日の方が多くなるのかも知れない。となれば、これまで夜には散々親しんだから、今度は朝に御目文字する番か。ちょっと納得できない気もしつつ、今日は早めに(私にしては)就寝してみよう。只今11時11分。明日の朝は祐二と一緒にすっきりと起きられるだろうか?
# by quickfix | 2006-06-08 12:13 | everyday life

sunday
日曜日、祐二は朝から仕事だ。祐二と一緒には起きられなかったが、なんとかベッドから這い出して彼を見送る。「例の家具屋、見に行くんだったら早めに行った方がいいぞ。11時過ぎるととにかく混むからな」「うん、そうだね、なるべく早く行くようにするよ」「俺は5時には帰るから。じゃ」階段を下りて行く祐二が見えなくなるまでドアの隙間から見送る。これは子供の頃に母が父にやっていたのがクセになっていて、いつも見送っていたら、最近は祐二もドアが見えなくなる寸前に振り向いて手を振るようになった。習慣の力だ。

昨日張り切って食料の買出しをして来たので、朝からちゃんと料理。といっても近所のカフェで出している美味しいイングリッシュマフィンと玉子のサンドイッチを真似してみただけ。あとは昨日ファーマーズマーケットで買って来た葉付人参の葉をさっと鰹節、醤油、胡麻油と味醂で炒めて日持ちするようにしておく。昨日は黒胡椒ステーキが200gで3ドル50セントと安かったので、私には珍しくステーキに人参・インゲンのローストを付け合せというファミリーレストランのような献立だった。ステーキの下ごしらえと焼きにはまだ少々修業が必要な模様。ソースはとろみが足りなかったものの、マッシュルームと醤油がいい感じに肉に合っていた。やっぱり小麦粉ではなく片栗粉を使うべきだろう。

別に料理で祐二を取り込もうとしている訳ではなく(ヤツにはそれは通じない、というより逆効果だ)、単にここのところ引越しを口実にずっと外食続きだったので、お金もかかるし、何より外食に飽きてしまった。下手な手料理だけど、家で食べる手作りの食事はやっぱりいい。

小さい頃から外食が大好きだった。母の料理が下手だった訳ではない。料理学校を出ている母だったから、和・洋・中華と何を作らせても絶品だった。まずいもの、失敗作を食べた記憶などない。それでも、家での夕食というのは、私にとってはできれば避けたいシーン・ナンバーワンだった。母に怒られるのも、父と母が険悪なムードになるのも、大抵夕食の食卓だったから。世間体を気にする両親は、外食中のレストランや喫茶店では、決して機嫌を悪くしなかったし、何より、私が怒られたり引っ叩かれたりするこは絶対にない。よって、外食イコール束の間の家族団欒(フェイクだけれど)、という公式が私の脳に刻み込まれた次第。

何が食べたいのか分からない。何かを強烈に食べたい、ということがまずない。だから何を作ればいいのか分からない。外食の良いところの一つは、メニューがあることだ。とりあえず眺めて、選べばいい。自分で作るとなると、何を基準に、どの範囲から選べばいいのか、途方に暮れてしまう。「体の声を聞け」とか言うけれど、声など聞こえたことがない。自由に食べ物を選ぶという自由が、大学卒業まで無かったからだ。すべてが親のコントロール下にあった。今思うとどうやって毎日生活できていたのか不思議なほどだ。

そろそろシャワーを浴びて家具屋に行く時間だ。今日も雨は降るのだろうか。朝から脂っこいものを食べたのですでに胃が重い。なんだかわからないけれど、泣きたい気分。
# by quickfix | 2006-06-04 22:12 | everyday life

waiting
約束の時間を14分過ぎた。車はまだ来ない。

カーサービスが遅れるというのは珍しい。やはり今日の午後の豪雨の影響か、もしくはミッドタウンで地下鉄が何本か止まっていた影響かも知れない。いずれにしろ、金曜日のマンハッタンで、渋滞しない訳がないのは事実だけれど。

私がスターバックスで彼のために買って来てあげたアンドレア・ボッチェリのCDを聞きながらのんびりネットをしている側で、祐二はちたぱたと細々した片付けものをしている。ことごとく私とは性格が違う人だ。彼の場合は単なる綺麗好きというのともまたちょっと違って、彼独特のこだわりがあるモノ・場所に限ってコマメに整理整頓をしている。家全体が綺麗でなくとも、数カ所、彼のこだわりの場所が整頓されていれば、とりあえず落ち着くらしい。逆に、家中を綺麗に掃除した後でも、こだわりの場所が雑然としていると、一日中イライラして、私に当たり散らしてくる。そのくせ、私が片付けを手伝おうか?と申し出ると、頑に断るのだ。そして近所の行きつけのカフェバーで知り合ったフリーターの誰かを時給20ドルで雇ってパーソナルアシスタントとしてトレーニングするとか言う。そのぐらいだったら私をトレーニングした方が話が早いと思うのだが、そうすると私がいわゆる「奥さん」になってしまうので、それは何としてでも避けたいらしい。こだわりがあるのは分かるが、そういったこだわりの意味が私にはまったく分からない。まぁそのこだわりも全部含めての祐二なので、まとめて引き受けるか、まとめてご辞退申し上げるかのどちらかな訳で、それを引き受けているのは私の勝手。三十を過ぎてそこまでは冷静に分かるようになった。

三十になるまでは、そういう基本的な道理がまったく分からないまま、闇雲に、行き当たりばったりな恋愛を繰り返していたものだった。26のとき、このまま結婚するのかなと思っていた相手と一瞬だけ同棲したことがある。そのときの相手は祐二とはまた違ったタイプのこだわり屋だったが、子供だった私にはそのこだわりも含めて相手なのだ、ということがどうしても受け入れられなかったし、そのこだわりをリスペクトするなんていうことはまったく頭に浮かばなかった。今にして思うと、私同様、相手も子供だったのだが、当時の私にはそれさえも分からなかった。多分相手にも分かっていなかったと思う。結婚する前に別れたのはお互いにとって大英断だった。

身の周りはだらしないくせに、人間関係に関しては妙に潔癖性なところがある私は、普段はあまり細かいことに目くじらを立てないのだが、その一方で実は綿密なエンマ帳を付けていて、そのエンマ帳に蓄積されたデータがひとたび決定的な出来事と符号すると、周囲をあっと言わせるようなスピードと思い切りの良さで、自分の痛みも顧みずにざっくりと人を切り捨ててしまう傾向がある。というより、切り捨てて生きて来た。個人的な好き嫌いで切り捨てるのではない。生きる上での基本精神と言うのか、挟持というのか、根本的なところが食い違っていることが分かった時点で、すっぱりと切り捨てる。ぐずぐずしたところで、切り捨てる痛みが減る訳でもなく、長引けば長引くほどお互いの人生の無駄。一体どこからこういうドライな考え方に至ったのかは分からない。私の知る限り、両親はそういう人種ではなかったし、友人達にも特に思い当たる例は見当たらない。生まれながらの性質なのだろう。

祐二は片付けが一段落したらしく、リビングでテレビを見始めた。「携帯チェックしてみろよ、もしかしたら車もう来てるかも知れないぞ」と叫ぶ。携帯はさっきからうんともすんとも言っていないが、祐二のためにもう一度確認に行く。「鳴ってないよ」「そうか、ならいいけど」

時計を見ると、約束の時間を35分過ぎている。いくらなんでも一度電話してみた方が良いかもしれない。今日は画家の従兄のオープニングパーティー、あまり遅れて行くのもみっともない。「こっちからもう一度電話してみよっか」「いや、いいよ、渋滞で遅れるって連絡あった訳だし」もうこうなって来ると押し問答だ。どっちが気が短いのか分からなくなって来た。

しばらくテレビを見る祐二の側に立たずんでみる。無反応。「水でも飲む?」「うん、飲む」冷蔵庫からブリタを出し、グラスに注いでサイドテーブルに持って行く。そのまま祐二の側で立ち止まらず、コンピュータデスクの方に歩いて行く私の背中に向かって祐二が「ありがと」と声を掛ける。遅いよ。心の中でつぶやく。食い違う会話。すれ違う気持ち。一緒に住んでいてもいなくても、変わらないジレンマ。分かり合えるなんていうことは幻想にすぎないって、分かってるってばと、声にならない声を出して歯をくいしばる。泣かない、泣かない。大丈夫。私は強い。祐二が分かってくれなくたって、私が私を分かっていれば、全然 平気なんだから。

約束の時間から43分経過。車は全く来る気配もない。雨がまたしとしとと降り出した。従兄は"Congratulations"のプレートが乗ったRichartのチョコレートを喜んでくれるだろうか。
# by quickfix | 2006-06-03 08:14 | everyday life

unpacking
引越しから5日経った。荷解きはまだ全然終わらない。

祐二が手伝ってくれるのを期待していたのに、結局彼は私のやり方に文句をつけるばかりで、全然手伝ってくれない。何かというと、「俺のカウンセラーが言うには云々」「共依存に陥らないためにはboundaryを設定しないと云々」と心理学用語を振りかざして自分のlazinessを隠そうとする。私がちょっとでも拗ねると、すぐに「俺がお前を愛してるのは分かってるだろう?」といつもの決まり文句で片付けようとする。今日はあまりにも腹が立ったので、ちょっと大声を出して怒鳴り合いの喧嘩をけしかけてみた。私はこう見えて結構喧嘩っ早いし、英語での喧嘩にだって相当自信があるのだ。

そう、祐二は生粋のアメリカ人である。祐二というのは私が勝手に付けたあだ名(しかも本人は知らない)で、腹が立ったときだけ、心の中で、「こいつ、祐二のくせに」とつぶやいて溜飲を下げている。どうして祐二なのか、なぜ孝や大輔ではダメなのか、自分でもよく分からないけれど、とにかく、ヤツは祐二なのだ。

祐二は自己がしっかり確立された大人の男だ。それが祐二の魅力だし、私が祐二を一番尊敬するところでもある。でも、時々、それが悔しいほどの憎たらしさで私の未熟さの前に立ちはだかると、私はどうしていいのか分からなくなってしまう。そういう時、女の子ができることと言ったら、泣くか、怒鳴るか、ふてくされるか、家を飛び出すかぐらいしかない。こういう時、つくづく女は不利だなと思う。
# by quickfix | 2006-05-30 13:27 | everyday life
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ニューヨークに辿り着いてはや10年。すっかり三十路が板についたサワミサが、日々のよしなしごとをマイペースに綴ります。

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